ずるり、と舌が鳴ったときから、仕事は始まっていた。
路地裏の小さな部屋。オレたちの家とほとんど変わりない広さで、唯一違うのは地上にあるせいか湿った空気がないことぐらい。あるのはボロベッド一つ。その上に、すでに全てをさらけだした、自分が居る。天井の明かりだけがやけに煌々とついていた。
細長い口吻から舌の出し入れを見せつけながら、今日オレを買ったアリクイ獣人がニヤニヤ笑っている。ピンク色にぬめるそれは、口内器官というよりはひとつの軟体動物だ。ベッドに上がってきて、短い腕でオレを拘束する。目の前をちろちろと揺れる舌から、つうぅと唾液が糸を引いてオレの毛のない胸に落ちた。
この類の獣人の相手は初めてじゃない。どんな感触が来るのか分かってはいる。けれど。
「!・・・っぅ」
何の前触れも無く胸部に絡みつかれて、ぞわ、と総毛が立つ。べたりと張り付いた太い粘着質の紐。それが、表面をうねうねと小刻みに動かしながら肌をゆっくりとこね回す。舌が通り過ぎた所は、溶けかけの飴のように粘ついて、触れられたとおりの道を主張して止まない。
「ぅあ・・・あ」
目を閉じるべきなのか、開けておくべきなのか、未だに自分にはわからない。開けていれば、ぎらぎらと脂ぎった獣の瞳や、恐怖心を煽る長い爪を見なくてはならない。しかし閉じてしまったなら、敏感になった肌の表面が、ぬめる舌の感触を数倍に増幅して伝えてくる。
脇腹から下肢へ、ずるずると張り付きながら進んでいく肉の紐。目を閉じていると自分の腕ほどの蚯蚓が肌の上を動いているように感じて、危うく吐き気を催しそうになった。気持ち悪い。背中に冷たい汗が浮く。逃げ出したい本能が、自然に腰を引かせるけれど、毛むくじゃらの短い腕がぐいぐいと引き寄せる。
感触を追いかけてはいけない。頭の中身を、必死で関係ない方へ飛ばす。ここで今、執拗に身体をねぶられているのは自分じゃない。最初に舌をつけられたところが、もう乾いて引きつっている。薄い膜が張って、舐められたところからぱりぱりと固まっていきそうだ。
追いかけない。やめるんだ。意識を飛ばして。すぐに終わるから。
すぐ、では無いことはわかっていても、そう思いこもうとする。いっそ相手の精を一気に放たせてしまえたら楽なのに。その為なら、手でも口でも身体でも、オレは迷わず使える。使うことはとっくに覚えている。オレを相手にするのが人間だったなら、大概それで済むんだ。それならものの30分もあれば終わるだろう。
けれど、獣人の多くは精を吐くまでに時間をかけたがったし、いつまでも精を尽くす事がない。
「俺たちは高等生物って奴だからなぁ?」
饒舌な客の一人はそんなことを言った。あれは兎型、だっただろうか。柔毛の生えた手ですりすりとオレの貧弱な胸を飽かず撫で回していた。猫舌で舐められたり、爪を立てられたりするよりは、痛みのない分楽かもしれなかったけれど、もふもふとした感触が延々体中を這い続けるのはくすぐったいを通り越して拷問に近く。肌を粟立たせて思わず抗議めいた視線を飛ばしたら、くつくつと笑われた。
「お前達みたいに、ぼこぼこ子供を産むために交尾なんぞしないからな。耐えて、引き延ばして、最高の快楽が欲しいんだよ」
射精の快楽なんか最後で良いんだ。
「お前、獣人に良く買われるだろう?何でだと思う」
びろうどの毛並みがオレのお尻のあたりに滑り込む。ひっ、と息を呑むのに目を細めて、相手は丸みを持ち上げるようにまた撫で回してきた。
「この感触だ・・・これを買ってるんだ。人間の子供が一番上等なんだよ。触り心地がな・・・」
獣人には子という概念がない。この町、いや、世界を支配しているという王が造りだしているのだと彼は言った。その多くはオスメス関係なく、毛や鱗、固い皮に覆われている者が多いと。
「それはそれで味もあるが・・・お前達の肌の感触は別格だ。毛がない、というだけでも、けっこうぞくっとする。あえて格付けするなら・・・人間の子供、若い女、女、若い男、男」
肉屋で品定めしているかのように。
下等なお前達の、唯一にして最高の存在意義だな、と兎の、おそらく士官級の男は、長い耳を立たせて哄笑した。
「・・・!んんゃ・・・ぁあ」
ゆっくりと下降を続けていた長虫様の舌が、もぞもぞとオレの股の間に潜り込んでくる。情欲にとろけ落ちそうな目で、アリクイはオレの身体を睨め付ける。萎えていたはずのそこに、器用に舌を巻き付けられて、全身が震えた。
羞恥心なんて、とうに捨てたと思っていたのに。べとべとの物体になぶられて、急速に立ち上がっていく感覚に身体が燃え上がる。
快感じゃ、なくて。
熱くて、気持ち悪くて、どうしようもなくて。やめてなんて言えないはずなのに、口が勝手に紡ぐ言葉。甲高い声を聞くのが好きだと言った客もいた。このアリクイもそのクチなんだろう。オレが喘ぐたびに、喜色が濃くなるのがわかるから。
だったらもっと大げさに啼いてみせた方が良いのかな。ぼやけてきた頭の隅が一瞬そう呟いた。
小さな袋がオレの脇に投げ出される。ちゃり、という音で我に返った。相変わらず電灯ばかりまぶしくて、今何時なのかもわからない。安宿の一室。窓を開けたのか、風が通っているのがわかる。ああ、夜風の匂い、だ。
顔だけ上げると、寝台の脇でアリクイ男は糊のきいたシャツをもう着終わったところだった。
「・・・ありがとうございます」
頭を下げるために、まだべとつく体を四苦八苦して起こす。そうして精一杯の礼を尽くそうとするのを、アリクイは手を振って押しとどめた。意外に優しいその手つき。欲を満たした所為なのか、表情まで少し穏やかに見える。
そんな雰囲気の中で申し訳ないと思いながらも、オレは渡された袋の中身を急いで確かめようとした。アニキからいつも言い含められている。客が目の前に居る内に、交渉通りの金が入ってるかどうか確認しろ、と。もし入っていなかったとして、非力なオレに何ができるだろう。そんな反論をしたことはまだないけれど。
硬貨が入っている袋を持ち上げて、手が止まる。違和感に戸惑って、ぱ、と手を離してしまった。スプリングの甘いベッドの上で、じゃらり、と袋がへたる。
だってこれは。
「あの・・・」
「ん?ああ、ボーナスが入ったんでな。気まぐれだよ。とっときな」
いつもより明らかに重かった袋を、また膝の上に落とされる。今までに類のない事に、思考が停止してしまう。呆けたようなオレの顔を見て、アリクイは苦笑しているようだった。
「ぼー・・なす・・」
「知らないのか?・・・うーん何て説明すりゃいいか・・・真面目に長く働くともらえる、ご褒美みたいなもんだ」
決まった時期に、給料とは別に金が出るんだよ。まあ俺らにしてみりゃお祭りごとだ。だからこうしてお前を買ったりしてるわけなんだが。
子供なんか滅多に抱けないからなぁ、と言いながら、太い爪のある手がオレの頭を撫でた。予想していなかった温もりに、オレは硬直するしかない。
子供、と彼らはオレを見てそう言う。14というオレの歳は、少なくともジーハ村ではもう子供扱いされない歳だ。だが、そもそも子供時代を持たない獣人たちにとっては、見た目さえ小さければすべからく子供に見えるらしい。もっとも、オレは昔から育ちが悪くて、いつまでも背が伸びないから、同じ人間の中でも子供と思われがちだったけれど。
「それからこいつもやる」
また一つ、放り出されたのは麻の小袋。硬くて軽い音がする。この袋は見覚えがあった。路地の入り口にある乾物屋の袋だ。
「見たことあるって顔してるじゃないか。俺の大好物だ」
俺らの種族はこういうのがめっぽう好きでな。そう言って懐から同じ袋を取り出すと、細い口先にぽい、と中身を一つ放り込んだ。うう、と目を細めて、口の中で転がして、横目でオレにも一つ食えと促す。
「ボーナスに浮かれて買いすぎちまったんだ。荷物を減らすと思って持ってけよ」
人間の子供ってのは甘いものが好きなんだろう?
ニコニコと屈託も無く。身支度をすませた獣人は、短い手で不器用に上着をひっかけると、手を振りながら部屋を出て行った。
ドアが閉まると同時に、冷たい風が体に当たって、反射的にぶるりと体が震える。早く下でシャワーを借りて、ここを出なくては。時間を過ぎれば延長料をとられる、そんな待合宿だ、ここは。
頭の隅では解っていたのに動くことができず。オレはぼんやり手元の袋を見比べる。右手に最後に渡された麻袋を振ると、甘く乾いた匂いが一瞬鼻を掠めた。手のひらに転がり出たのは、小さな白い飴玉だった。
いったい、なんなんだろう、これは。
ベッドに座り込んだまま、無意識にオレはそれを口に含んだ。ころ、から、と歯にあたる音。左手を持ち上げればじゃらり、と硬貨が擦れる音。
お金。オレはこれと引き換えに、貧弱な体を獣人に預ける。お金と引き換えにされるとき、オレの体は物でしかなくて、乾物屋に並ぶ飴玉と同じ価値でしかなくて。いつだってそう思っている。そう思い込んでいる。だってお金ってそういうものじゃないの?
地下暮らしだったオレもアニキも、お金なんて見たこともなかった。この都に来て、獣人や、その獣人と商売する人たちを見て、初めてそんなものがあるって知ったんだ。
お金って魔法みたいなもので。金色のを持っていれば、信じられないような贅沢暮らしができるなんてことを知って。でもその代わり、それを持っていなければ、ここでは生きていけないということも、いやというほど思い知らされた。
最下層の「人間」であるオレたちに、お金を手に入れる手段は、そういくつもない。手元にあるものを売るか、オレたちにしか回ってこない過酷な労働をするか、そして・・・誰かのを盗るか。
オレは働くのでもよかった。体力には自信はある。汚いのも臭いのもきついのも、どんな仕事でも大丈夫だった。村でもいつも穴掘りしてたんだから。そして、いつも汚い、臭いといわれ続けてきたんだから。
でもアニキはそれを許さなかった。割に合わないと言うんだ。それにアニキは待つのが嫌いだった。手っ取り早く手に入れて、手っ取り早く欲求を満たしたい・・・それがアニキだ。
オレはアニキの為に働きたかった。でもそれが許されないのなら・・・できるのは残りの二つ。
どんどん部屋は冷えてきていて、オレは擦り切れたシーツを身体に巻きつける。獣人特有の強い体臭と一緒に、さっき何気なく頭に置かれた不器用な手のひらが思い出されて、ふるり、と首を振る。
ちがう、オレが欲しいのはあの手のひらじゃない。
本当は、お金なんか二の次で。
欲しているのはアニキに褒められること。必要とされること。
『良くやったな、シモン』『すげーじゃねえか、シモン』『頼むぜ、兄弟!』
くしゃりと撫でる手。背中をたたく手。肩を抱く手。そして笑った顔。それだけでオレは何もいらなくて、でもそれが無くなる事が何よりも恐ろしい。
そういうものを初めてくれたのはアニキ。アニキ以外にオレにくれる人はいない。いないってずっと思ってきた。いないって、アニキがそう言った。
オレはアニキに笑っていて欲しい。オレはアニキに手を離されたくない。オレはアニキを信じ続ける。アニキの言うことなら何でもする。
でも、ときどきわからなくなってくるんだ。
ねえアニキ。アニキは獣人は悪い奴で、だからこっちは何しても良いんだ、やり返してやってんだ、っていうけれど。
獣人だって働いて、お金を稼いで、普通に生活してる。オレたちが盗る物や金は、獣人達が労働や知恵で手に入れた物。
そしてオレが今手に入れるこの金も、オレが売れる唯一のもの------この発育不全の子供みたいな体を売って、初めて貰える。
帰ってくれば寝ているか酒場に行っているかで、その日その日をすごしている、アニキ。
「世界中の定職についてる奴らは、俺に一円ずつ寄付するべきだと思う」
いつかの日、酔っぱらったアニキの言ったのを思い出す。戯言めいていたけれど、でも半分は本気なのをオレは知っている。
でも。
ねえ、働かなきゃ、体使わなきゃ、代償を支払わなきゃ。その為に目指すもの何か一つ無かったら。
何もしなかったら、欲しい物なんて本当は何一つ手に入らないんだよ?
麻袋からもう一つ。滑らかで甘い、子供のお菓子。
口の中で溶けるそれはひどく懐かしいミルクの味がして、オレは訳もなく涙が出て困った。
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