※お題2の続きになります。
良く行く人間用の安酒場は、今日も早い時間から客が入っていた。
シモンが金を稼いでくると部屋を出て行った後。俺はポケットに残っていた小銭を手に、口笛交じりで出かけたのだ。二日酔いには迎え酒だ。獣人の金庫から盗んだ金?そんなはした金、貧乏人どもにくれてやらぁ。俺には生きた金づるがあるんだからな。そうさ、俺の言うことだけを聞く弟分だ。
『黒の兄妹亭』は看板三人娘と、柄の悪い男が経営している。どこから仕入れるんだか、安い金でもそこそこの量の酒を出すし、年頃の娘が給仕をしてくれるとあっちゃぁ、人も集まるはずだ。かく言う俺も常連であり、三人娘で一番年嵩、金髪・碧眼・ナイスボディと三拍子そろったキヨウには、何かと粉をかけている。うぜえ実の兄貴が目を光らせてるから、なっかなか話もできねえのが現状ではあるが。
酒場の扉を開ければ、中が一気に見通せる狭くて奥へ長い店。手前のテーブルで注文をとっていた女が振り返る。
「あらカミナ」
「よう、相変わらず別嬪さんじゃねえか、キヨウ」
ありがと、というキヨウは明らかに営業スマイル、俺の台詞なんてまるで意に介さない風情で店の奥に去っていく。黒の簡単なワンピースを着ていても、身体の線がまるわかりだ。豊かな金髪が、むちりとした尻の上で揺れるのを追いかけて、俺はカウンターまでついていった。何しろ眼福というやつ。最近女にはご無沙汰していたから、遠慮なく目を楽しませてもらおう。
スツールに腰を落ち着けてもなお視線を這わせていると、イラついた顔して厨房まで行っちまった。いい女はつれないもんだ。
「がっついてんじゃねーよ変態」
でかい声がして、陶製ジョッキが一つカウンターに降ってくる。ごとん、と置かれた中には、なみなみと店特製の黒い発泡酒。なりはでかいが、実際は貧乏人がちまちまと飲めるように工夫された泡ばかりの代物。
「うっせえ誰が変態だ」
「見るだけで人の妹孕ませそうな目ぇして何言ってやがる。おめーがここに来るってことぁ、また素寒貧なんだろ」
女も買えねえぐらいにな、とへの字に曲げた口で吐く男、キタンは、ごつい手で分厚いコップを拭いている。左腕には古傷、野太い眉が持ち上がってぎろりとにらむ。ツケはきかねえぞ、と脅す目の前に、俺は小銭を投げ出してやった。
「文句あるか?」
「ふん」
一瞥して金勘定したキタンは、鼻を鳴らして、別の客のジョッキを満たしにいった。
ざまあみろ、と嘲って、泡の下に隠れた液体を胃に流し込むと、頭の芯からくる痛みがじわじわと消えていくのが解る。寝起きから続いていた気分の悪さから開放されて、俺は満足の息をついた。
ちびちびと泡を食みながら、横目で店内を見るでもなく見渡す。薄暗いがそこそこ小奇麗にしてあるそこかしこのテーブルに、まばらに客が座っている。こんな時間からいる奴らの顔はみな同じだ。尾羽打ち枯らした、というのがぴったりな男たち。よれよれの服。どろりとした眼。薄茶けた壁にもたれて、そのまま同化しちまいそうな存在感の無さ。かと思えば、一人でなにやらにやにやしているヤツもいる。頭までイッちまったんだろう。
あーやだね、辛気臭え。
ジョッキの泡を半分は流し込んで、へっと吐き捨てる。こんな金のねえ、明日もねえやつらと一緒にいたら、腐っちまう。
黒い発泡酒は意外とアルコールが強い。貧乏人が安く酔っ払えるように、この店が密造しているものだ。大して強くもない俺は、この泡だけでも結構気持ちよくなれる。
身体の力が抜ける。眼の端にランプが明るい。安い合板のカウンターは,ニス臭く,てらてらとまぶしいくらいだ。だらしなく突っ伏して棚の酒瓶を数えながら、俺はぼんやり考える。
俺はここにいるやつらとは違う。違うんだ。ゴミくずみたく吹きだまってるやつらとは。
こんなとこにいるのは,たまたま金のねえ今だけだ。いつかうまいこと儲けたら,獣人どもとタメはれるような暮らしをしてやるんだよ。
具体的な方法も未来も思い描けはしなかったが,そんな事はどうだって良いんだ。大事なのは夢を持つってことだ,そうだろう?その為にどうやったら楽に金を手に入れられるかだ。
どっちにしても,そうさ、明日になりゃぁ、シモンが金を持ってくる。盗みをやるよりゃ少ねえが、これよりましな酒を飲むには十分な額だ。薄汚ねえ獣人どもから搾り取った金を,あいつはまるまる差し出してくれるだろう。大きな目、飼い主を見つけた犬のように。
ほら、アニキ、とにっこり笑って。
にっこり、笑って。少し疲れた笑顔。細い手足。しなやかな首。襟元や内腿から覗く、さまざまな跡。噛み傷。引っかき傷。鬱血。何をされたのか、想像を掻き立てるような赤い印。どれだけ鳴かされてきたのかわからない、擦れてつぶれた声。
にっこり、笑って、今頃あいつはどっかの獣野郎に身体を差し出しているだろうか。
ぶる、と体が震えた。否、震えたような、気がした。
口の端が引きつる。ずくん,と走った衝動を抑えつけるために。ときどき起こる,わけのわからない感情。あいつが,シモンが,体を売って帰ってきた後になると。
あいつが,悪い。目の前が,揺らめく。
寒々しい俺らの家に,さんざん犯されて帰ってきたあいつは。潤んだ瞳で,赤い実のような唇で,泣きそうな声で,俺に呼びかける。どれもこれも直前まで嬲られて,泣かされたからなのはわかっている。
俺がおかしいんじゃない。覚えずぎりぎりと拳を握っている自分がいる。禄に女も抱けない状況が悪いんだ。あんなシモンを見ると目の前がチラチラするのは,その所為だ。俺はおぞましい獣どもとは違う。いくら溜まってたって,子供も,男も,相手にする気なんざぁねえ。
女を抱くにも金が要る。スラムの女は馬鹿じゃねえ。多少なりとも儲けや得がなけりゃ,簡単に身は任せない。でなきゃ男によっぽど惚れぬいた時だ。口先三寸じゃ落ちやしねえ。
だから,金なんだ。明日になれば,シモンが金を持ってくるんだ。そうすれば。
ぐるぐると思考がループしているのにはうすうす気付いていたが,アルコールで溶けかかった脳味噌では止める事もできない。ジョッキの中身はそろそろ空になる。いつの間に飲み干したのか自分でもわからない。
ゆらゆらと手を挙げて,もう一杯の合図を送る。キヨウか,じゃなきゃいつも厨房に引っ込んでる眼鏡の次女でも良い,女が来ればと思ったが,無言でグラスを寄越したのはむさ苦しいキタンだった。
「・・・おらよ」
「少ねえんじゃねぇか?」
「お前がさっき出した分じゃ,これでも多いくらいだ。んなことより,おめえ,弟分はどうしたよ」
「・・・ああ?」
突然話をふられてびくりとする。そういえば,ここには何度かあいつを連れてきたことがあった。酒と同じくメシも安い。小金しか無いときには,俺たちは良くここで夕飯を調達する。シモンが一人で酒だけ買いに来たこともあるはずだ。名前も顔も覚えられていて当然かもしれない,が。
顔を上げれば,睨みつけるような顔と合う。何だってんだ。何でそんな非難するような顔される?
「どうせこれで有り金全部なんだろう?シモンはどうしてるんだって聞いてんだよ」
「てめえの知ったこっちゃねえ。今頃どっかほっつき歩いてんだろ」
俺らは別に本物の兄弟でも家族でもねえ。あいつが始終何してるかなんてしらねえし気にもしてねえんだ。
稼ぎに行ってる,とは何故か言えなかった。本当にどうでもいいならば,そう言ったって良かったはずだ。かけらほどのプライド。弟分に体を売らせてのうのうと酒を飲んでる,なんて事を,隠したいのか。いや違う,あれはあいつが勝手にやってんだぞ?俺はシモンにそれを強要したことなんてない。俺は恥じる事も非難される事もないんだ,ないはずなんだ。
吐いた言葉はそれでもなぜか上滑りしていて。ジェスチャーばかり大きくなって,視線は宙を泳いでいる。
そんな俺を見ていたキタンは,いったん開きかけた口をむすりと閉じると,
「情けねえ奴」
とだけつぶやいて向こうをむいた。
一瞬,ほんの一瞬だけ,羞恥と怒りが俺の中で煮えかえる。何で関係もない奴に,蔑むような目で見られなくちゃならねえのか。けれどそれを恐れて,瞬時に,弟分を売っている事を隠そうとしていた。その心の動き全て読まれたこと。
さっと頭に血が上った。上った,が。
俺は立ち上がらなかった。代わりにへらへらと笑った。へらへらと。
こちらから見えるキタンの後ろ姿はいよいよ苛ついたように膨らんで,カウンターから厨房へ消えていった。
目の前のグラスを何でもないように口に運ぶ。こんな事で見境もなく喧嘩をおっぱじめるなんて馬鹿のするこった。手がまだ少し震えていたが何のことはない,すぐ治まる。殴りかかったところでどうなる?俺が腕っ節の強ええキタンに,かなうはずもない。言いたいことを言わせときゃあ良いんだ。聞き流せ。
グラスの酒は先ほどと違って原液に近く,含んだ途端に喉を焼いて鼻から抜ける。盛大にむせた俺の耳にひっそりと聞こえてくるのは笑い声。壁の染みみたいな奴らが,声にならない声であざ笑っている。
ゴミくずと思っていた客たちの忍び笑いがいつまでも取り囲む。俺は涙目のまま,もう一つ咳をした。
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