各部署の一日の報告を聞き、科学省、研究所、人民局を回ってひとくぎり。ロシウがやっと遅い昼食を取り終えて、総司令執務室に戻ったときには、日が傾き始めている。
扉を開けば西日が細く射し込む部屋に、まだ一心に手を動かし続ける総司令。だだっ広い執務室、明るく大きな窓を背に見えるその姿はひどく小さい。かつて共に戦った、あの頃より幼い気がした。一瞬。
額をおさえ、すぐにそんな幻想は振り払う。馬鹿な事を。僕たちはもう子供ではない。政府を擁し、世界を支える都市の長だ。要職者だ。
かつかつと歩み寄って、いつものごとく、仕事中の総司令の脇につく。相変わらず紙の山は減っていなかったが、ロシウの目には、本日中に済ますべきものがきちんと処理されつつあるのが見て取れた。補佐官としての、安堵と満足感が胸に広がる。
場合によっては・・・今日はもう上がりということにしても良いかもしれない。
ちょうどそんな事を考えている横で、ふう、とシモンが息をついた。うーんと首や肩を大きくまわして、乱れた紺青の髪の隙間から、ちらり、とこちらを見やる。仕事してますよ、というアピール。わかりきっていたけれど、ロシウの口元も少しゆるんだ。ほんの少し、甘やかしたい気持ちになる。
「お疲れですか、総司令」
「ちょっとお疲れですよ、ロシウ補佐官」
こちらの顔色を見て、休めそうだと踏んだらしい。喜色満面、くるりと椅子を回しておどけて見せた。思わずロシウは苦笑し------そして不思議に思う。今日のシモンさんの顔は何だろう。まるで、そうまるで、14のあの頃。大人の顔のまま、ふちどる線にどことなく活気があって、曇りがない。
「あ~疲れたっ」
ガサガサと書類の山を寄せて、ぺたりと机に伏せる天下の総司令。無機質な机の肌が頬に冷たく気持ちいいんだとか。
珈琲を淹れましょうか、と言うと賛成の意を示して両手を上げた。サーバーは部屋の片隅にある。
手慣れた様子で、ロシウはこの便利な機械を動かす。火がなくても熱い飲み物を淹れることができるなんて、昔は考えられなかった。
マグカップに濃茶色の液体を移すにつれ、嗅ぎなれた香りが部屋に流れ。鼻をくすぐる香ばしさに、追憶が引き出される。初めてこの黒い液体を飲んだ子供のころ。仰天して吐きだして、シモンさんに心配された。カミナさんには笑われた。
古い思い出。あれからすぐに、味を覚えた。同じく地上に出てから珈琲を好きになったというシモンと、キャンプのたき火のそばで、飲み交わしたこともあった。未知の地上の事、自分たちが出てきた村の事、他愛もないことを話しながら。
何とはなしに懐かしさを伝えたくなって、マグを持つ手もそこそこに振り返る。シモンは机に突っ伏したまま・・・朝見せられた、野菜の人形を愛おしそうに撫でていた。
穏やかな表情。その瞳は恍惚として見える。こちらのことなど目に入っていないように。
かけようとした言葉を呑み込んで。顔が映るほどなめらかな床の上、静かに手早く運ぶ熱い飲み物。とん、と顔の脇に置いてやると、目だけで礼を言われた。伏した姿勢は崩さない。
「オレの村ではさ」
隣で立ったままカップに口を付けていると、シモンの声。くぐもって少し聞き取りにくい。
「ジーハ村ではさ、亡くなった人にどうしても会いたいときは、穴を掘るんだ」
会いたいと思う人の命日に。どこでもいい、ここだと自分が直感したところを掘る。
「好きなだけ掘って掘って。もし途中で何かを土の中から見つけられたら、それが会いたい人の魂なんだって」
石でも良い。何かの骨でも良い。それこそ土の塊だっていい。ただ、これ、というものが見つかったなら、それが会いたい人の形見なんだ。
これ、とシモンはズボンのポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。開いた手の上にあったのは、不透明な青い石。親指の先ほどの大きさだが、良く磨かれてすべすべしている。
「これ、は、オレの父さんと母さん」
地震の一年後に。一晩中土を掘って掘って掘って、見つけたのがこの石だった。こんなにちっぽけだけど、8才のオレはその言い伝えを信じてたから。嬉しかったよ。
そう言った、笑顔に屈託はなく。珈琲を手にしたまま、一緒に石を眺めた。角のとれた姿は、おそらく幼いころから何度も撫でたり磨いたりしたであろうことを彷彿とさせ、微笑ましいような悲しいような、複雑な気持ちになる。自分はここまでして、母や父を追いかけたことがあっただろうか。
「・・・アダイには、何かそういう風習はあった?」
無邪気に聞かれて、少し詰まった。今考えていたことを見抜かれた気がして。
「僕たちの村は・・・」
アダイでは、死体は地上へ運び、村から離れた場所に安置して帰る。故人は文字通り神の国に行った事になり、魂もそこに残されると考えられていた。地上に行くことこそが至上の喜び。地下は暗く、どこまでも貧しい。そこへわざわざ戻ってくる魂がある、とは想像できなかった。むしろ、天の国なる地上で、遊び暮らす魂の事を伝えるような物語を、良く聞かされたものだ。特に子供のころは。今思えば、そんな物語さえ、人減らしを円滑に進める為の手段の一つだったわけだが。地上は天国ではない。もうわかっていても、染みついた考え方はそう簡単には落ちない。
天の国に行ったと、そう思っていたから。自分はシモンのように母を追い求めはしなかった。むしろ逆だったのかも知れない。天の国に行ったと信じるために、母に会いたい気持ちを抑えつけていた、幼い頃。真実を知った今でも、押し固められてしまった気持ちは溶けないままだ。冷たく固く、心の底に転がっている。
「ホーニンのように、魂が戻ってくるなんて、考えたこともありませんでした」
夕焼けの朱の色が、東向きのこの窓にも映り始めている。それに連れて輝きを増し始める、新都の明かり。蛍火のように。
不思議だよな。
ようやく体を起こしたシモンが、珈琲を手にして呟いた。もう片方の手に、緑のウマシカを手にしている。
「少し前まで、オレたち死んでもおかしくない所に居たのに」
死んだらどうなるか、なんて考えもしなかった。自分の魂の行き先なんて。
「でも何だか今日は、ずっとそんな事を考えてたよ」
ふわ、とまた懐かしい笑顔。話していることは縁起でも無いことなのに・・・ロシウは固まって見惚れた。あんまり柔らかい笑顔だったから。
「なあ、ロシウ」
オレがこの先死ぬような事があったら。
「空に行きたい」
全部全部燃やして灰にして。空に撒いて。
「ちょうど、今みたいな時間に」
まだ残る青空と、夕陽が混じる境目に、オレを放して。
口調はいつもと同じだけれど、まっすぐにこちらを見た、その瞳が。何もかもロシウに伝えてしまった。シモンが、何を考えているのか。
あなたは、カミナさんのところに行きたいんだ。
あなたが空を見る目を知っている。でも見ているのは空じゃない。空の向こうに居る人だ。あの人は、自分が追い求めていた空と同じ色の髪をして、沈む夕陽と同じ色の瞳をしていた。あなたは、そこに、還りたいんだ。
そんな幻想すら、あなたを幸福な顔にするなんて。
「・・・っ冗談でもそんなこと、言わないで下さい!」
手にしたカップを揺らすほど、真剣な声を出したから。ふい、といつもの顔に戻って、ごめんごめん、とシモンは笑った。それから、ありがとう、と。
礼を言われたいわけではなかった。考えたくなかっただけだ。頭を過ぎったのは、空の上で笑いあうカミナとシモン。
それなら僕は。深い地の底で眠りたい。僕が死んだなら。空など見えない、光など射さない、深い深い穴の中で。戻りたい魂などないと思った、アダイの闇に還りたい。
苦い珈琲を飲み干して。カミナシティを見下ろす窓辺に立つ。街の灯は目映いばかりに明るく、繁栄は喜ぶべき事なのに、今日だけはその光が棘になって刺さった。
僕の還りたい闇は、ここにはない。
宵闇が迫っていた。背中合わせの総司令と補佐官を照らす月が、もうじき昇ってくるだろう。
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