「駄目人間5のつぶやき」より
(※26話,多元宇宙のハートのアニキとシモンの話です。ご注意。)
「呼吸するのめんどくさい、心臓動かすの疲れる」
枕の隙間から聞こえる声に、オレはため息をついた。
半地下のオレ達の部屋は、いつもどことなくカビくさい。1DK、男二人がぎりぎり住める部屋。家具は殆どなく、あっても質の悪いリサイクル品。床はひび割れたコンクリート打ちっ放し。それでもベッドは一つしかなくて、その一つを今まさに占領しているのが、オレの、アニキ。
昨日の酒が全然抜けてないんだろう。通気の悪い部屋に体内を通過したアルコール特有の匂いが、夜からずっと充満している。ボロ布団を半分引っかけてうつぶせ。服も昨晩のまま。獣人の縫製工場から払い下げの、難あり品。といってもどこかがほつれている風でもない。敢えて言うなら、柄が難ありなんだろう。薄いピンクの地に、これでもかとハートの飛び交っている、おめでたいシャツ。生地は紙より薄くてぺらぺら。水色の髪のアニキには、おそろしいほど似合わない。
オレはおずおずとベッドの近くから声をかける。
「でも、アニキ、もう今日は食べるものないよ」
「俺の財布に金入ってんだろ!何か買ってこいよ」
「朝アニキが帰ってきた時見たら、空っぽだったんだけど・・・」
「何ぃ?んなわけ・・・痛てえ・・・頭いてーちくしょ・・・っ」
勢いよく起きあがろうとして、二日酔いの頭にキたんだろう。こめかみを押さえて、めり込むばかりに薄いマットレスに沈んだ。無精髭がざり、とこすれる音がする。
アニキ、また盗られたんだ。オレの唇が泣き笑いみたく歪んだ。
お酒に弱い癖に、人に良いとこ見せたくて、飲み過ぎてはアニキは店で酔いつぶれる。それでも何事もなく帰ってくれば別に良いんだ。でもアニキのその癖は界隈では有名すぎて、酒場の悪い客はすぐアニキに飲ませようとする。治安なんて無いにひとしいスラムで、正体をなくしたらどうなるか、もう何度もアニキはその身で実証している。あるいは、こんなにひどい二日酔いも珍しいから、一服盛られたかもしれないけれど。
「・・・大丈夫?」
「っ大丈夫なわけねえだろ馬鹿野郎!!」
差し出した水は大声と共にはねのけられた。間をおかず、ガラスの割れる耳障りな音。ああ、コップだってただじゃないのに。瞬間思ったのはそんなこと。右手がじんじん痛いのに気付くのはもっと後のこと。胸が痛むのには、気付かないふりをする。
ごめんなさい、とだけつぶやいてオレは床に膝をついた。ガラスを早く掃除しなくては。冷たいコンクリートの床は、何もしなくても膝が切れてしまいそうだった。
何も考えないようにしよう、と思う。考えたら泣きそうになるから。つい一昨日、まとまったお金が入ったところだったんだ。獣人の雑貨屋の金庫に穴を開けて、盗ってきたもの。食料が底をついたのは知っていたから、これで買い置きをして、できればアニキに内緒で貯金もして、もう少し、ましに生活しようと思っていたんだ。でも飲みに行きたいってアニキが言うから。一晩だけ、財布を渡した。(渋って殴られた後に)
だめだ、ちがう、かんがえるな。感情が顔に出たら、アニキはもっと機嫌を悪くする。
「金がねえ、金がねえ、だ、と?!迎え酒もできゃしねぇじゃねえか!」
大声に身体がびくんと反応してしまう。しまったと思ったときには、遅かった。
「・・・何か文句あんのか?シモン」
ダウンしていたくせに、こんな時だけ素早い。あ、と叫ぶ間もなく、二の腕から乱暴に引き起こされる。どろりとした目に見据えられたオレはガタガタとすくみ上がることしかできない。アニキの目。赤く赤くオレを射抜く目。ぎりり、と二の腕を絞られて、オレの手の中のガラスが落ちた。
「なあ、シモン・・・お前のアニキがこうして苦しんでるのに、お前何やってんだ?」
やけにゆっくりとした口調。視線が粘液に変わってオレの顔を這い回る。嗚呼どうして。どうしてオレは動けなくなるんだろう。顔の縁から、眼球の中まで視線になぞられていくのがわかる。こんな風じゃなかった。昔は違ったのに。
オレはオレはオレは、村を出ようとしていたアニキに憧れて。ミソっかすのオレを、ある日アニキがかまうようになってくれてから。親も兄弟も友達も居なかったオレに、初めて気さくに声をかけてくれたのが、アニキだったから。穴掘りを誉めてくれた。頭を撫でてくれた。アニキの為に穴を掘ると約束した。
アニキ、アニキ、アニキ。
オレにはアニキしか居ない。
そんな目で見ないで。嫌わないで。捨てないで。
ぐるぐると思考が回る。身体が動かない。アニキの視線にさらされて、今自分がどう動くべきなのかわからなくて、目すら伏せることのできない有り様だった。ただかすかに、かすかに、ごめんなさい、と唇を動かすことだけ。
それを見届けたアニキは、酒臭い息を一気に吐きだして、満足そうに笑い出した。
「馬っ鹿じゃねえのか?何泣きそうな顔してんだよ」
赤い瞳が引き歪んで、ばしばしと痛いぐらい肩を叩かれる。村を出たときのように、明るい声音。オレに元気をつけるときに必ずやる仕草。緊張が少し解ける。まだ、嫌われて、ない?
おどおどと眼差しを揺らすと、今度は頭をぐり、と撫でられた。オレの数少ない持ち物である、ゴーグルがずれてしまいそうなほど。あんまりいきなりだったので、はずみでまだ残っていたガラス片がオレの右手を切った。
「・・・っ」
声はあげない。痛みを訴えること、辛さを訴えること、アニキは嫌う。なまあたたかい物がじわじわと溢れてくるのが分かって、急いで右手を背中に隠した。頭の上にある温かい手のひらを、できるだけ長く感じていたかった。
でもやっぱりアニキは変にめざとくて。隠した方の腕をぐい、と引き出す。
「・・・血ぃ、出てるじゃねえか」
何の躊躇いも無しに。オレのマメだらけの手の平からガラスを払い落として、深く開いた傷に口をつけた。
今度こそ、声にならない、声。痛みなんかとうに吹っ飛んだ。熱を孕んだアニキの舌が、ぺたりとはりつく。
直に。オレの、肉に。
じわじわとその熱が血管を進んで、オレの脳味噌をかきまわす。何も考えられない。こんなことが、身体を芯から震わす疼きに変わるなんて。
「シモン・・・」
名前と同時に零れた吐息が、熱っぽい手の平に走ってオレは思わず息を飲む。上目遣いにその様子を楽しそうに見る人がどこか歪んだ顔をしていても、オレにはもうどうでも良い。
「俺のピンチを助けてくれるのはいつもお前だ。そうだよな?」
唇が動く感触を手の平に残しながら、甘い甘い、声。
毒が傷口から回る。
ふら、とオレの身体が揺れる。
「明日の、朝までには戻る、ね」
ちゃんと、稼いで、くるから。
震える声で伝えると、アニキは最近空でも見たことない、お日様みたいに笑った。
それはまるで遠い昔から決められた約束事のよう。
オレはアニキに逆らえない。
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