2.
「テツカン、入るぞ」
返事ともうなりともつかない声が聞こえたので、遠慮なくスチールのドアを押し開けた。
「うっ・・・」
ドアの先は、一種異様な雰囲気に包まれている。休日の昼だというのに、遮光カーテンを閉め切って薄暗い部屋の中。外から来た者には、一見して部屋の造作はわからない。ここの寮室はみな同じ作りのはずではあるが。
部屋の奥に、大きく四角い光源がまぶしい。そこだけ青白く浮かび上がる中に、四角い眼鏡と、落ちくぼんだ目、わずかに黄色いバンダナが見えた。
目が慣れればわかる、画面だけは異様に大きいパソコン、そこから伸びるいくつものケーブル、詳しくない人間にはさっぱりわからない周辺機器の数々が無造作に置かれ、足の踏み場もない。
そしてこの匂い!
うへえ、とゾーシィは大げさに咳き込む。熱気やら湿気やらこもる部屋の中に充満しているのは、ジャンクフードの脂、油、ポテト、バンズ、パテ、メニューに並ぶありとある種類のハンバーガーがぐちゃぐちゃに混ざり合った匂いで。特にチーズと照り焼きソースの匂いが強烈だった。アイラックに至っては、私服に匂いが染みつくのを嫌ってか、戸口から一歩も動こうとしない。
「おまえ、良くこんなところで生活できんな・・・」
部屋の奥、ディスプレイの前に張り付いている人物が、そのつぶやきに視線だけよこしてきた。
この部屋の主、テツカンは、ネットゲームジャンキーである。さすがに学業のある昼は自粛しているが、部屋に帰ればいそいそと、朝までネット世界にどっぷりひたって暮らしている。もちろん毎日徹夜なのは言うまでもない。
今日のような休日はなおさら彼にとっては至福の時だ。24時間、パソコンの前に張り付くのがざらである。その上、自他共に認めるジャンクフード好きで。寮での食事以外にも、良くハンバーガーを口にしている。閉め切った部屋に匂いが充満するのも無理はない。
顔をしかめて立ちつくしてしまったゾーシィの影から、キッドが躍り出て声をかける。
「おい、こないだ頼んだの、できてるんだよな?」
「ああ、はい。これだよね」
はめていたヘッドフォンを外して、テツカンは何やらコードと漏斗状の部品を手渡してきた。
「おお、サンキュ」
「・・・今回だけだぞ?あんまり人のプライバシー覗くような事したくないけど・・」
「それ、一体なんなんだ?」
「高性能集音マイク」
少し困ったような顔をしてテツカンが説明した。羽虫がはばたくような音でも拾える、すぐれものだと。
「俺の隣の部屋の音を拾いたい、ってキッドが言うもんだから」
何を隠そう、テツカンの部屋の隣こそ、問題のカミナとシモンの部屋なのである。あの日教室を飛び出したキッドは、まっすぐテツカンの元に行っていた。
「びっくりしたよ。急に教室に入ってきて、隣室から妙な物音がしないか、って」
たまたまテツカンのクラスが移動教室から帰ったところで、捕まえることができたのだ。
もちろんテツカンには何の事やらさっぱりわからず。とにかく、隣から騒音の類が聞こえたことはない、と答えた。そもそも、この寮の部屋は防音にも優れている。勉学に励みたい学生の為や、騒音で学生同士いざこざにならないよう配慮しての事と思われるが、おかげで隣は何をする人ぞ、隣室の人間が居るか居ないか気付くことすらできない。寮中が静かな夜更けに起きているテツカンですら、隣室からの物音をついぞ聞いたことがなかった。
それを聞いていったんは落胆したキッドだったが、テツカンがメカに強い事を思い出し、何とか隣の音を聞くことができないか、依頼したのである。
「これで、回線勝手に増やした事とか、ロン先生やキタンに黙っててくれるんだろうな?」
「依頼というか、脅迫なんだな」
「しゃーないだろ。真実をつきとめるには手段を選んじゃいらんねー」
「あと、今月毎日一〇〇円マックおごってくれる約束」
「・・・まーな」
少し渋い顔をしたキッドは、視線を他の二人に走らせる。おごりはおめーらにもつきあってもらうぞ、という意思表示らしい。勝手に決めんな、とゾーシィは毒づき、アイラックは首を振った。
「それで?隣はもう帰ってきてんの?」
そんなことはお構いなしに、テツカンはてきぱきと準備を進めている。パソコンデスクから足下に続く機械をずりずりと避けて、壁までの道を作り、先ほどの機械とスピーカーを接続した。
「おう、確認済み。標的は二人とも室内だ」
手をもみ合わせながら、キッドが請け合う。かなりわくわくしてきた、という顔だ。雀斑の散る頬のあたりがにやにやと持ち上がって。マイクの拾う音が流れるはずのスピーカーの前に陣取り、ほら、お前らも早く来いよ、と戸口近くの二人を嬉しそうに手招きしている。
まだ半信半疑のゾーシィと、どうにもこのごちゃごちゃした部屋に入りたくないアイラックではあったが・・・やはり好奇心には勝てなかった。おそるおそる足もとを気にしながら、壁の近くに集まる。
「さて、それでは・・・」
多少芝居がかった仕草で、テツカンは聴診器に似た集音マイクを持ち上げた。彼もまた、悪いと思いつつも好奇心には勝てないのだ。皆の視線が一点に集まる。
「始めるよ」
狭苦しく暗い部屋に、男四人車座に陣取って。固唾を飲んで、奇妙な機械の先を見守る。
マイクが壁にピタリと張り付いた、その瞬間。確かに、誰一人部屋中から漂うチーズバーガーの匂いも気にしていなかった。
始め、スピーカーから聞こえるのは、耳が詰まっているときに聞こえてくるような、微かな雑音だけだった。サーサーという砂の落ちるような音が続く。誰もが、失敗したかと早合点しそうになった。
その時だ。
ガタン、ばたん!と重いものが落ちる音。なにかが折り重なるようなばさり、という響き。かなり鮮明に聞こえる。やはりマイクの性能は、確かなようだ。それにしても何の音だ何をやってるんだ?
誰一人声もあげなければ、身動き一つしない。こちらからの音は一切向こうには聞こえないはずなので、気にする必要はないのだが。誰かの喉がごくり、と鳴る。物音は相変わらず続いている。
ばさばさいう音が一段落したかな、と思われた頃。ついに最初の人声がスピーカーから流れた。
「アニキ・・・」
シモンの声、だ。
びくり、と全員が反応する。
マイクを通しているからなのだろうか、やけに掠れて・・・吐息混じりで、妙な想像をかき立てるような声音。
しかしそんなものは序の口だった。
その後に続いた、「あっ・・・」という小さな悲鳴(とその後に鼻から抜けていくような息の音)が、暗がりの四人を一斉に硬直させた。
もしかしてもしかして、何かやはり聞いていてはまずいことが起こっているのではないか?
全員の頭にぐるぐると疑問やら危機感やらちょっとピンク色なものやらが渦を巻く。
しかし誰一人マイクを止めることはできず。固まる男達の前で、やがてスピーカーはとんでもないものを流し始めた。
「やっ!アニキ、駄目だって・・・」
「大丈夫だシモン」
「・・・ほら・・・もうこんなになっちゃってるよ、やめようよ、アニキ・・」
「うるせえ!男は気合いだ!」
(ガサガサという音)
「あっ、大きすぎるよアニキ!入んないよ!」
(泣きそうな声)
「心配すんな・・・よっ・・・要はねじ込めば・・・」
「だめぇ!ぐちゃぐちゃになっちゃうっ」
(悲痛、な)
バタン!という音が、こちらの暗い(どちらかというと後ろ暗い、が正しい)部屋に響き渡って、一人をのぞいてその場の全員が飛び上がった。驚いて音の主を見上げる。それは。
「俺、隣行ってくるぞ!」
憤然として立ち上がったキッドだった。いかにも怒りにわなわな震えている、という風情である。
残りの三人は唖然としてその姿を眺めた。しかし、大股で出て行こうとするのに、はっと気が付いたゾーシィが、必死でその足をつかむ。
「おい!今おまえが行ってどうすんだよ!」
「止めるんだよ!カミナを!どう聞いたって無理矢理だろ、嫌がってんじゃねーか!」
いや、それはわかんないと思うぞ、とそこにいる誰もが思ったが。
根が純朴で思い込みの激しいキッドには、シモンが助けを求めているようにしか聞こえなかったらしい。多分、シモンが三つ下の中学生だということも、彼の正義感を刺激したのだろう。
ええい離せ、とゾーシィを振り払って。口々に制止する三人を後にして、キッドは部屋を走り出る。そのままぐいいっと直角に曲がり。ノックもせずに、隣室のドア、いきなり力任せに引き開けた。
ばんっ!と派手な音を立ててドアは壁にぶつかり。
不埒な音を立てていた部屋が、白日の下にさらされる。
そこには。そこで見たものは。
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「・・・あの時、どうしてキッドさん来たんだろうね?アニキ」
「んー?何の話だ?」
「ほら、今みたいに大掃除してる時だったと思うんだ。血相変えてここに飛びこんできたことあったじゃない」
年末を控えた自室を、掃除しようと言い出したのはシモンだ。やっぱりきれいにして新年を迎えたいからね、という言葉に全面的に賛成しないまでも、手伝いの手はきちんと出すカミナは、そばで本の仕分けをしている。
本をあらかた降ろした本棚にハタキをかけながら、シモンは思い出していた。
あれは確か夏休み明けてしばらくのことだった。
いつまでも鼻風邪が治らないカミナを心配していたシモンは、ふと、この埃っぽい部屋が鼻水の原因なのではないかと思ったのだ。
あの時のアニキ、すごい勢いで鼻垂らしてたからなあ・・・・・
何しろ、ダース単位のティッシュの箱がみるみる空になるのだ。鼻水の出し過ぎでカミナがひからびるのではないかと思ったくらいだ。そのくせ、熱や咳など、風邪特有の症状は全くなくて。
ハウスダストか、はたまた別の原因か。わからないまでも、まずここをきれいにして様子を見てみようと思った。
休日を利用した大掃除。具合が悪いのだから、手伝わなくて良い、と言ったのに、やっぱりカミナは手伝おうとしてくれて。
しかし彼は力はあるが、基本が大雑把なのが玉に瑕であり。せっかくだから、と、いつもぐちゃぐちゃに入れてあるカミナ側の本棚を片づけさせたのがいけなかった。元々入りきらずに横に積んであった本まで、無理矢理棚につっこもうとするものだから困る。それも新品の本もおかまいなしに、ぐいぐいと突っ込んでいくのだ。見かねて、やめよう、と声をかけても、妙に意地になってねじ込もうとする。
本は大事にするものだ、と思っているシモンにとってはとても見ていられない光景で、思わず強い声をかけてしまった。
たぶん、その時だったよな・・・
凄い音を立ててドアが開いたのでそっちを見ると、耳まで真っ赤にしたキッドが、戸口を塞いで立っていたのだ。対してこちらは、鼻のかみすぎで鼻の下を真っ赤にしたカミナ。
「お前ら、何してんだ・・・?!」
「んだよ、掃除してんだよ」
「・・・ど、どうしたんですか、キッドさん」
ぐるり、と本当に恐い顔でキッドが室内を見渡して。じいっとこちらを見つめてきたのだ。特にシモンを重点的に。上から下まで、じっくりと眺められて、かなりびくびくした。
けれど、見ている間に、眉間の皺はそのままでも「あれ?」というような表情になってきて。見かねたカミナが、
「何じろじろ見てんだよ?ああ?」
と視線の間に割り込んで来ても、反応もせずに突っ立っていて。
おかしいな、と思っているところ、ドアの向こうにいつもの先輩達、ゾーシィとアイラックが駆けつけて、「こいつ、今ちょっと情緒不安定で・・・」とかなんとか言いながら、キッドを引っ張っていってしまったのだ。隣部屋のテツカンも出てきていたから、よほどドアの音がうるさかったのだろう、何だか申し訳なく思った。
この日の出来事は後になっても解明されることはなく。
あの日不可解だった先輩達は、つぎの日にはいつも通りに戻っており。何だかあの一瞬の出来事について問いかける事もしがたくて、そのまま忘れてしまっていた。
今こうして思い出しても・・・さっぱりわからない。掃除している音がうるさかったのだろうか?でも掃除機をかけていたわけでもないし・・・
考え込みながら、はたはたと布ハタキで撫でるように埃を取っていたら、足もとで豪快なくしゃみの音が響いた。
そうだった。アニキは埃に弱いんだった。
結局、初秋のあの日に解ったことは、カミナの鼻水の原因が埃だったという事ばかりで。
あわてて机の上の箱ティッシュを手渡す。また鼻の下が真っ赤になってしまったら可哀想だ。特に今は乾燥がひどい季節なんだし。
「・・・おーい。もう空になっちまったぞ」
ちーん、という音が何度か響いたあと、空箱がシモンに返ってくる。
「え。あ、それで最後だったんだ!しまった買い置きしてないや・・・」
「んじゃあ、俺が行ってくるわ」
へ。
よっと立ち上がって、おろおろしていたシモンの頭をひと撫でして。さすがにスウェット上下ではまずいと思ったのだろう、外に出かける格好に着替え始める。
アニキが買い物に行ってくれるなんて珍しい。また雪でも降るんじゃないだろうか。
はたきを片手にしたまま、ちょっと感動して見上げていると、視線に気付いたカミナがにやり、と笑った。
「だってよ。ティッシュがねーといろいろ困るだろ?」
今日の夜、とかな。
身をかがめて、耳元に囁かれて。漸次間をおいてからようやく意味がわかったシモンの顔が真っ赤になる。もっていたハタキを振り下ろそうとしたところで、とっくにカミナは離れており。
ひらひら手を振って、部屋のドアから出ていった。それはそれは嬉しそうな顔。
後に残されたのは、掃除途中の部屋と、まだ赤みのひかないシモン一人で。
もう!とやり場なくつぶやきながら、大掃除は再開。心持ち手が速くなるのはいたしかたなく。
夜までは、まだまだ長い時間があった。
期間限定グレンラガンのカミシモ(シモン総受が信条)テキスト垂れ流しブログです。
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