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Posted by ふじみき - 2008.02.14,Thu

※注 今回のカミナはいつにも増してヘタレです。(まあハートアニキなので)
  苦手な方は読まない方が良いですよ・・・!



1.


 「ぁあにきの!!馬鹿ぁあああ!!」
 
 テッペリン都下,スラムの一角。
 朝の静寂の中,街を貫いて怒声が響き渡りました。




 「・・・で?追い出されてここに来た?」

 呆れた色を滲ませて,リーロンは目の前の人物に飲み物を差し出しました。
 むすりとした顔で受け取ったのは,われらがカミナ。ご存じ人間街の,しがないどろぼう兄弟の兄貴分です。今日も今日とて,仕立ても素材も趣味も悪いハート柄のシャツを一枚羽織ったっきり,小さな店のカウンターに陣取っていました。

 「俺ぁ泥水は飲めねえって言ってんだろ」
 「悪いけどここは昼間はコーヒー専門店なのよね。こんな時間に来たら,あんたの言うところの泥水しか出せないワケ」
 
 リーロンの店は,昼夜で形態の変わる軽食店です。昼はコーヒーを中心に安価な総菜やランチを提供し,夜はちょっぴり怪しいビューティフルクイーンが仕切る,ショー付きの酒場に早変わりします。それでも良心的な値段をつけているということで,店はそれなりに繁盛していました。
 けっ!と悪態をつきながら口の広いカップを受け取るカミナは,いつにも増して無精髭がぼうぼうと生えています。身支度もせずに飛び出してきたのでしょう。

 「だけど,あのシモンを怒らせるなんて,あんたよっぽどの事したんでしょう」
 「っ俺は何もしてねえ!あいつが勝手に怒ってるだけだ!」

 大したこっちゃねえのに,何だあいつは,兄貴分を何だと思ってやがる。ぶつぶつと文句を言いながら,カミナは勢いで手の中のカップの中身を口に含みます。途端,喉を焼く苦さに咳き込む姿を,リーロンは考え深げに眺めていました。

 カミナの語る,事の顛末はこうです。

 今日の明け方近く,カミナは自分たちのねぐらに酔っぱらって帰ってきました。前日に一つ前の仕事で手に入れた宝石が捌けたところでした。懐もあたたかく,ねぐらに帰る前にちょっと一杯・・・のつもりで飲んで,いつの間にやらはしご酒と相成っていたのです。
 もちろん,この程度の事ではシモンは怒りません。というより諦めています。小金を持ったカミナが,一銭も使わずに帰って来れた試しはないのです。とにかく半分くらい残して帰ってくれさえすれば,という気持ちで待っていますから,両替屋に行った帰りが遅くなる事など承知の上です。
 ほんの少しはそれを申し訳ないと思いながらも,カミナは酒場やそこにたむろする女性の匂いにあらがえた事がありません。花を飛び移る虫のようにふらふらと,あっちへ行きこっちへ行きして,結局,何とか両替分の4割方を財布に残して,へべれけでの帰還となりました。
 正直,その後のことをカミナは良く覚えていないのです。ぼんやりと,帰って来しなにテーブルにつき,水をがぶ飲みしたような覚えはあります。もしかしたら,その時テーブルの上に乗っているものを叩き落とした,かもしれません。ただやっぱりそれも記憶があやふやで,カミナの脳味噌には記録がほとんど無いに等しかったのでした。
 とにかく気が付くとカミナは自分のベッドに転がって,朝を迎えていたのです。覚醒したのは,小部屋を切り裂くようなシモンの叫び声のせいでした。
 何やらやかましい,と目をこすっていると,開いた目の前にシモンが立ちはだかっています。(正確には,シモンの胴体部分と何か持っている手しか見えていなかったのですが。)

 「あんだ,シモーン・・・朝っぱらから」
 「・・・アニキ,これ,壊した?」

 妙に静かな声で,寝ぼけ眼の前に差し出されたのは,真っ二つに割れた何かの破片でした。ぼんやりした視界の中では,それが元は何だったのか判別できません。そして,寝起きの働かない頭には,シモンの声が常より低く,いつもと違う感情をはらんで聞こえてくるのがわからなかったのです。
 アルコールも残っていて,かったるかったカミナは,それを良く見もせずに,布団に顔を埋めました。

 「しらねえよ」
 「アニキが,壊した,の?」
 「あぁ・・・しらねえって言ってんだろ?まあお前が壊したんじゃなきゃ俺なんだろうな・・・」

 むにゃむにゃと寝言のように呟いて夢の世界へ帰っていこうとする横で,じっとシモンは立っています。なぜかその気配が強すぎて,布団を被ったはずのカミナはうまく眠ることができません。二日酔いも手伝って不機嫌になったカミナは,そんなシモンがうっとうしくなって,思わず腕で布団を払いました。

 「だあ!もういいじゃねえか!何だかしらねえが,どうせお前の趣味で彫ってたガラクタだろ!売るわけでもなし,壊れようが何しようが知ったこっちゃねえよ!」

 いつもならここで引き下がるシモンのはずでした。兄貴分に怒鳴られると,シモンは少なからず躊躇して,かなり理不尽なことでも聞いてしまう所があったのです。今回もその流れになると当然のように思って,カミナは酔眼をこじ開けて,精一杯弟分の顔を睨みつけました。
 ところが。
 カミナの眼に映ったものは,今まで見たことのないような怒りの色とちょっぴり泣きそうになった大きな瞳であり。思わずひるんだ彼の目の前で,わなわなと震えるシモンはついに大きな声で叫んだのでした。


 「ぁぁあにきの!!馬鹿ぁぁぁぁ!!!」



「なるほどねえ・・・」

 新しく豆を挽く匂いが店に満ちてきていました。コーヒーを含んでは眉をひそめて悪態をつくカミナは,いらいらとテーブルを指で叩きます。

 「いっつも彫ってるガラクタじゃねえか。んなもんの一つや二つ壊したぐれえで男がいちいちうだうだ騒ぐなってんだよ」

 カミナはシモンの手仕事をあまり好みません。小店で売れるような細工物を作っている場合は良いのですが,単なる趣味でドリルを回している時にはいい顔をしません。無駄に体力と腕を使うんじゃねえ,と思ってしまうのです。カミナの考えは逐一金稼ぎに直結するようにできているので,そうなってしまうのはいたしかたありません。
 本当は,もう一つ理由はあるのです。職人タイプのシモンは,手作業をしていると集中のあまり周りが見えなくなります。ともすれば一緒に居るカミナの事すら眼中にない様子になるので,それが面白くないのです。カミナは,意識的にそれを自覚しないようにしていますが。

 「あんたねえ」

 大体大事なもんならあんなとこに置いておく方が悪い。俺はぜってー謝らねえぞ,と子供のように口をとがらせている人間に,リーロンはほんの少し笑いながらため息をつきます。
 流れ流れた人間達が吹き溜まるこの街に,リーロンはもう随分長く住んでいます。このどろぼう兄弟の事も,彼らがスラムに住み着いた時からの顔なじみです。金癖と手癖は悪いけれど,どこか一本気で憎めないカミナ,その兄貴分を慕う,気弱だけれど素直で根はしっかりもののシモン。凸凹な2人は傍目にも面白く,何かと気にかけていました。この2人の間に今まで諍いは時々ありましたが,カミナが追い出されるほど,ということは初めてではないでしょうか。
 今回は少しお説教が必要かしら。リーロンは諭すように続けます。

 「自分にわからなくても,相手には大事っていう物だってあるでしょうに」

 それなりに生きてきてるんだからあんただってわかるでしょう,と彼は形の良い手でコーヒーを淹れながら遠くを見る目つきをしました。それから,ゆっくり視線を目の前の青い髪に戻します。

 「あんたの,一本芯が通ってるってくらい自分中心で大雑把なところは,生きてくのには結構役に立つわ。それが救いになることだってあると思う。・・・でもね,ほどほどにしないと,自分でそれと気付かないうちに,自分の一番大事な物を壊してるかもしれないわよ?」

 いつもくねくねと人をからかったりはぐらかしたりする事の多いリーロンですが,今日は少し大人の雰囲気を漂わせて静かに話しているのが不思議です。カミナもすっかり毒気を抜かれてしまいました。
 カップを前に俯いていると,目の前に小さなサンドイッチが置かれます。いつのまに作っていたのでしょう。それ食べて元気付けたら,意地はらずに謝んなさいよ,といって奥に引っ込む後ろ姿に,カミナはぶつぶつ「知らねえよ」とつぶやきました。



 結局カミナは,その日も夜遅くなってからねぐらに帰りました。リーロンにはああ言われたものの,持って生まれた片意地が,カミナを素直にさせません。
 今朝家に持って帰ったお金は,シモンに渡す暇もなく懐に残っていたので,不自由はありませんでした。むしゃくしゃした気持ちを晴らす術を,カミナは酒や賭け事以外あまり知りません。せっかく換金した分も,もう一〇分の一ほどまで減ってしまいました。
 軽い財布を懐に,ボロアパートの前でしばし佇むカミナです。ぼりぼりと伸びすぎた髭をかきむしり,やけくそのようにドアを乱暴に蹴り開けます。

 「帰ったぞ!シモン!」

 虚勢を張った呼びかけに,けれど,答える声はありません。部屋の中は真っ暗です。寝ているのかと思い,小さな明かりをつけて寝床を見ますが,そこには誰も居ません。というより,使った形跡がありません。
 部屋の中は朝出てきたときと違って小ぎれいに片づき,ベッドも古い染みはあっても精一杯清潔にしつらえてあります。それ自体は何の不思議もありません。カミナが外から帰ってきたときは,いつでもこの状態なのです。それは安っぽく古いこのワンルームを,少しでも居心地良くしようとしている誰かのおかげです。
 その誰かの姿だけが,部屋のどこにも見当たりません。

 「家出かよ・・・ちくしょう,やってくれるじゃねえか」

 笑い飛ばそうと思って口を曲げても,うまくいかないことにカミナは苛立ちます。自分が帰ってきたときにシモンが居ない,なんてことは一度だってなかったのです。家出でないとすれば,こんな夜中に,彼が出歩く理由もわかりません。やはり,部屋を飛び出てしまったのでしょうか。
 どうせあいつだってここにしか居場所はねえんだ,その内帰ってくる。
 寒い床を蹴って,ベッドに腰を下ろしたカミナはじっと腕を組みます。表面上は落ち着いて待っているようですが,その実不安がぬぐいきれないでいました。シモンが部屋に居ないだけで,どうしてこんなに不安な気持ちになるのでしょうか。カミナは舌打ちします。

 ・・・このままあいつが帰らないってことあるか?

 リーロンの言葉が頭を過ぎります。
 『自分の一番大事な物を,壊してるかもしれないわよ?』

 もしあいつが帰ってこなかったら,俺はこれからどうするんだ・・・?

 帰ってこなくたって,良いじゃねえか。カミナの意地の部分がそう言います。盗みをやるのに相棒が居ないのは痛いが,それでも自分はやっていける。何とかなる,あいつ一人いなくなったから何だってんだ。
 それでいて,シモンが隣に居ない自分のことを,カミナは想像できないのです。
 考えるのが嫌になって,カミナはベッドに潜り込みました。火の気を起こしていない部屋の中は,寒々として薄いシャツだけでは到底しのげません。この寒さの中,シモンはどこでどうしているのでしょう。ちりちりと胸が焼ける気がします。畜生。悪態がまた一つこぼれました。
 酔いの暑さもどこへやら,平たい毛布にくるまってカミナはただ眼をつぶります。体はもちろん,胸の中のうそ寒い気持もいつまでも去らないまま,浅い眠りがやってくるのをいつまでも待ち続けていました。

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