※「月見ヶ丘」最終章です。以前のものはこちら→ 1 2 3
4. <月も むこう向いていて>
月光は相変わらず降り注いでいて,ススキ野原は明るく波打っている。シモンは幼い子のような熱心さで,飽かず上空の月を眺めていた。
あまり集中している姿が,ほほえましさを誘って,悪戯心を起こす。カミナはこっそり何かを取り出した。
「・・・ぅひゃっ!?」
頬に熱い物を押し当てられて,文字通りシモンは飛び上がる。頓狂な声を聞いて,今度はカミナも声を上げて笑った。
「ほれ,ちっと冷めちまったけどな」
俺のおごりだ,と手渡されたのは,缶コーヒーだ。いつの間に買っていたのだろう。あるいはシモンを呼び出す前にもう購入していたのかもしれない。驚きを覚まして受け取る,少し冷えてきた指先に,スチールの缶は熱い。パーカーの袖を少し伸ばして,シモンは包み込むようにそれを持った。
立ちんぼも何だから,とカミナはそこらにあった切り株を指し示す。自分も手近の一つに腰を下ろして,手元の缶を開けた。ミルクコーヒー,と書いてある白いそれを見て,シモンは彼がコーヒーが苦手だったことを思い出す。シモン自身の手にあるのは,無糖の黒い缶だ。そういえば,この銘柄が好きだと言うことを,何気なく話した事があった。
覚えていて,くれたんだ。
なにがしか,心に走るものがあってシモンの胸がとくんと鳴る。カミナはコーヒーが好きな訳ではないはずで,この銘柄を覚えている道理もないのに。いやでも,たまたま目に入ったものを買ってきたのかもしれない。けれど,でも。
つい立ちどまったままで逡巡していると,せっかちなカミナは業を煮やして,こちらへ来いと手招きする。慌ててシモンは従った。
促されるまま,広い切り株の上,カミナの隣に腰を下ろす。シモンの胸程の高さにあったススキは頭を越えて,ススキの海にすっぽり埋まるような格好になった。右も左も,細くしなる茎が入り組んだ壁になっていて,遠くは見渡せなくなる。まるで子供の頃潜り込んだ秘密基地のようだ。
こうやって埋もれて見上げると,ススキが組んだ額縁に月が入ってしまう。そうすると星の光も食い尽くしてしまった明るい月が,夜に浮かぶ孤独な天体に見えてくるのが不思議だ。こんなに明るいのに。
隣のカミナは,気持ち顔をしかめながら,苦手なはずのコーヒーを流し込んでいた。同じ所に座っているからその動きが,体の端に触れて伝わって,相手の存在を意識する。1人じゃない今の状況に何となくほっとした,月と比べるのもおかしいけれど。
ぷしゅんと缶を開ければ,香りが湯気になって立ちのぼる。その白さが,外気温の低さを目で実感させた。まだ熱い中身をふうと吹いて覚ましつつ,少しずつシモンは缶を傾ける。
「しかしあれだな,お前はもう少し度胸つけなきゃいけねえなあ。寮抜け出すくらいで,んなにビクついてちゃ男が廃るぞ?」
さわさわ揺れるススキの中,カミナは赤い瞳にからかい気味の笑みをにじませて,温まった息を白く吐く。
寮から出てきたときのシモンを思い出したのだ。後ろも振り向かず,自分に飛びつくようにかけつけたシモンは,しばらく呼吸を整えるのに苦労していた。胸を押さえて動悸を鎮めようと深呼吸するたび,吐き出された息が夜色の髪のまわりに靄を作る。息が上がる程緊張しながらそれでも自分の呼び出しに応じてくれた事に,密かに喜びを禁じ得なかったのだが。
「そんなこと言ったってアニキ・・・・・・」
仕方ないじゃないか,とシモンは抗議する。
「みんな寝てるくらい遅い時間だったらまだ安心できたけど」
「んなに遅かったら,お前だって寝てたろ」
お子様だもんなー,とたたみかけられたから,小さい唇はむっと尖ってコーヒー缶に吸い付いた。結句,こういう顔が見たいからカミナは彼をからかうわけで。自然と手が出る,頭を撫でる。
「アニキ,は,昔からそんなに外出るの好きだったの?」
ぐりんぐりんと頭が揺れるのには大分慣れてきた。家猫の心境で,シモンは大きな手の感触を頭に受ける。重みはあるけれど,温かくて嫌じゃない。猫じゃないけれど,ゆっくり撫でられるのはけっこう好き,かもしれない。
「おう,中坊の頃なんか,毎晩出てたもんだぜ」
あんな狭苦しいところ,息が詰まると思っていた。
夜,あてもなく歩いていた頃をカミナは思い出す。親が亡くなって,帰るところもなくて。あてがわれるように入れられた,天元学園,学園寮。
もちろん,この場所に入れてくれた理事長には感謝している。食う寝るところ住むところを与えてくれた事。それに,それ以上を提供しようとしてくれた手を振り払ったのは自分の方だ。必要以上の恩は受けない。そういきがって,寮に住み込むことを決めたのは。
それなのに,どうしても窮屈に感じてしまったこの居場所。中学生のあの頃,今のように外で働く事も出来ず,学校と寮を往復するだけの毎日。他の生徒のように息抜きに家に帰ることもできないし,小遣いも拒んでいた自分は外で遊ぶこともままならない。
このまま腐っていきそうな気がして恐かった。中学から大学まで,否応なくこの学園のレールに乗っかっている自分。狭い狭い世界に生きていた自分にしてみれば,人生を一本道で決められてしまったようで,時々どうしようもなく苛々したものだ。
鬱屈した気持ちをどうにかしたくて,夜,1人寮を抜け出した。抜け出すといっても,繁華街で遊ぶ金があるわけでもなく,ただただ,人の居ない所を探してぐるぐると歩いたのだ。
そうして,偶然見つけた場所の一つがここ。
「ま,そうは言っても,俺ゃ親無しだ。帰るとこぁ寮しかねえ」
苦笑いしてカミナはスチール缶を弾く。俺には決めた事もあるしな。
決めたこと,理事長に学費を返すこと,だ。
高い月を見上げた横顔が,そんなしがらみがなければ,すぐにでも学園など飛び出して行きたいと暗に言っているようで,シモンは少しどきりとする。
何だろう,胸の辺りがもやっとした。もしも,もしも何か機会があったら,アニキはどこかに行ってしまうこともある,のだろうか。
シモンは学園に編入してまだ3か月とたっていない。懸念していた寮生活も,高等部寮の先輩達や中等部寮長ロシウの気遣いのおかげで,驚く程快適だった。むしろ,楽しいとすら感じることのほうが今はまだ多い。
けれどその楽しさの最たる要因の一つは,今自分の横でミルクたっぷりコーヒーの最後の一滴を飲み干している,空色の髪の人。
柔らかい銀の穂は,ほんの少しの風が吹いても大きく波を作る。ざわり,と動くススキになぜかシモンの心も波立つ。どうしてこんな些細な想像が,自分を動揺させるのか,わからない。でも。
―――カミナが,居なくなったら嫌だ。
せっかく温まった指が,す,と冷えていく気がする。
なぜ急にこんな自分勝手な考えが湧き出したのだろう。カミナがここに居るとか,出て行くとか,自分が関われることではないのに。心の動きに困惑する。
あんまり,今が楽しすぎるのかな。毎朝誰かをいってらっしゃいと送り出したり,食べてくれる人の顔を考えてお弁当を作ったり,時には他愛ないいたずらに巻き込まれたり。そんな何気ない毎日が,不思議と楽しくて仕方なくて。
カミナが居なくなるのは,イコールそんな日々を失う事。
何だろう,自分はおかしい。別に彼はここを出て行くと口にしたわけではない。例え口にしたとして,自分が引き留める道理もいわれもない。
どうして,だろう。
戸惑う気持ちが,シモンの視線を下に向けさせる。俯いて,肩を縮めて。月明かりの地面,自分の影もススキと一緒に揺れてしまいそうに頼りない。
「・・・おい,どうした?シモン」
一緒に月を見上げていたはずの弟分の顔が,急に視界の端から下がったのを不審に思う。じっと見やれば,うなだれた横顔の線にかかるススキの穂がソフトフォーカスをかけるから,一瞬溶けてしまいそうに儚くて。
思わず,肩に触れた。
びくり,と驚いたようにシモンが顔を上げる。見開いた大きな目。その瞳に,かけた手の意味を問われているようで,カミナは言葉に詰まる。
肩に手をかけられて,覗き込まれて。シモンはシモンで,カミナにとがめられた気がして固まっていた。黙り込んだ自分に,きっとカミナは苛ついたのだろう。あわてて笑って,何でもないよと打ち消した。納得したのかしないのか,ゆるゆると大きな手は離れていく。
重みが逃げるのをぼんやりと感じながら,ふとその指先の冷たさに気付いた。自分より先にコーヒーを飲み終わっていたから,もう手が冷えてきているのだろう。
アニキ,寒いのかな。そう思って,何気なくカミナの格好を見て驚いた。シモン自身は,既に部屋でも寒さを感じていたから,厚手のパーカーを着込んでここまでやってきた。それでも時々首筋に冷気をおぼえるぐらいだ。だがカミナは,良く見れば昼間のまだ温かい時間に寮を出たときの格好のままである。ジーンズに長袖のシャツを着ただけ。外から自分を呼んだだけで,一度も部屋には帰っていないのだから当たり前だ。
何で気が付かなかったんだろう。シモンは今更悔やむ。オレが部屋から上着を持ってきてあげればよかったんだ。夜に抜け出すという行為の,ちょっと後ろめたい楽しさ。そんな事に興奮して,気付くべき事に気付けなかった。自分の事ばかり考えていた。
「アニキ,帰ろう!」
とっさにシモンは,カミナの腕をつかんですがる。さすがのカミナもきょとんと目を見開いた。
「はあ?いきなり何言い出すんだよシモン!」
「だってアニキ,そんな格好じゃ寒いよ!風邪ひいちゃうよ?」
こんな所に薄着でずっと居たら,いくら丈夫なカミナでも不調になる。自分のために,と誘ってくれた事で,カミナの体調を悪くなどしたくはなかった。
「んだよ,まだ来たばっかじゃねえか・・・」
不服そうな顔のカミナに,月ならオレもう十分見たから!とシモンは腕を振り回さんばかりにまくしたてる。アニキに風邪を引かせたくない,早く温かいところに帰らなくては,とそればかりが頭を支配して焦っていた。
小柄な手が自分の腕をぎゅっとつかんでいる。思いがけない強さに,カミナはひそかに苦笑する。
何でこいつは,こうもこそばゆいことを俺にする。風邪をひく,とかお前は俺のオフクロか,とからかいたくもなるけれど,やっぱり純粋に自分を心配しているだけなので。腕にかかる熱,あんまり熱心な灰色の眼の中には,自分しか映っていない。それが丸わかりにわかりすぎて,それがどうにもカミナの何かを突き動かした。
「・・・・・・あーわかったわかった,だったらよ」
必死さが伝わったのだろうか。む,と口を閉じていたカミナが,ついに折れたというように,両手を上に向けて広げる。やっと腰を上げてくれる気になったかと,シモンがほっと息をついたのはつかの間だった。
「こうすりゃいいんだ」
――――――!!!
耳もとで。
ひくい,声がして。
首に肩にからみついたのは,カミナの太い腕。
重みと,熱,が上半身を支配した。
「えっ・・・と・・!ちょ,アニキ」
「おーあったけえ。お前体温高いなあ,子供体温?」
「こ・・・どもじゃないよ!もう・・・」
抱き込まれた,事に気付くのに半瞬遅れて。気が付けば,すっぽりと腕の中だ。頭の上で,しゃべるたびにカミナの顎が動くのがわかる。今は小刻みに揺れて,笑っているようだ。
温かい,けど。
どうしよう。どきどきする。びっくりした所為も勿論。でもそれ以上に,カミナの熱が息が近すぎて,動悸があがる。どうしよう。多分アニキは,ただ暖が取りたかっただけ,だと思うし,手近に居たのが自分だっただけ,だと思うし。意味なんか,ない。のに,何で。
わからない,とシモンは頭を悩ませる。
驚きで硬直した体に腕を回して,カミナはカミナで自分が良く解らない。
衝動的に,抱き込んだ。もう帰るなんて言うからだ。焦った頭が,引き留めたくて勝手に腕が動いたとしか思えない。
別に,朝だって時々やっていることだ。カミナは心で言い訳する。寝ぼけたふりで抱き枕にして。それと何の違いがある?違いがあるとしたら,今は寝ぼけているなどと誤魔化せないというだけで。
だが誤魔化せるのと誤魔化せないのとではえらいちがいじゃないか?
結局口をついて出たのは,お粗末な誤魔化しだ。寒いから。寒いから帰ろうと言ったのはこいつの方だ。だったら温かくなる方法をとればいい。実際こいつは温かい,し。ただ,温かくなったからといって離せる気もしないのも事実。離したく,ない,と頭の片隅が言っていて。何だ,これ。
顔を見られないのが幸いだ,と思ったことは内緒。
同じくシモンも,自分の顔を見られていない事を僥倖に思っていることは,カミナは知らない。
無理矢理カミナに体を預ける形。傾きかけた月を見ながら,熱が上がる自分の体が恥ずかしい。あの月が,明るすぎるのがいけないんだと思う。さっきまであんなに惹きつけられていた,その光が,何もかも暴き出す。誰も来ないし,誰も見ていない。ただ,月が,見てるから。
身を縮めたら,空いた隙間を厭うように一層強く抱きしめられた。ぴたりと密着している事を実感させられて頬が燃える。
寒さなんかもう何も感じない。自分の鼓動と相手の熱,だけ。
それでも,それでも,何か言わなければ心臓が壊れてしまいそうだったから。
かすれた声で,シモンはささやいた。
「・・・風邪,ひくまえには,帰ろうね?あにき」
答え代わりに,また一段。腕の強さが増した気がした。
------誰も邪魔しないでよ。
------月もむこう向いていて。
<終>
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